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 寄せ書き 
山岸真「最初のSF」

SF翻訳業
 最初に読んだ星新一作品は、1976年(昭和51年)の中学二年の国語教科書に載っていた「羽衣」。
 これは、最初に読んだSF小説でもある。
 同年代の知り合いのSF読者、とくにプロやセミプロになったり、そうでなくても十代からいままで新刊を読みつづけていたりする人には、小学生のころにジュヴナイルSFや、海外SF名作の児童むけリライトを読みあさっていた人が少なくないが、自分にはそういう経験がない。 しかし、シャーロック・ホームズの児童むけリライトはひととおり読んだし、小六のころからは刑事コロンボのノヴェライゼーション(=大人むけに売られている小説)も全部読んでいた。 当時は民放がふたつしかない県だったが、アニメや特撮の番組からは、十代になっても全然“卒業”しなかった。 ではなぜSF小説に手を伸ばさなかったのか  は覚えていないし、いまここで考えても、もっともらしいこじつけにしかならないだろう。

 なので話を戻して、しかし、「羽衣」をきっかけにたちまち星作品の魅力に取り憑かれた、というわけではなかった。
 けれど、「羽衣」を授業でやったのは夏休み前だったと思うけれど、冬休みに入るころには、すっかり星作品、そしてSFにハマっていた。

 そうなった要因の大きなものはふたつ。
 ひとつは、国語の担任の先生(当時四十歳前後? 違ったらすみません)が、SFファンだったらしいこと。 少なくとも、国語教師のカリカチュアとして語られるような“SFを荒唐無稽な絵空事とバカにするタイプ”(というイメージはさすがにいまでは古い?)ではまったくなかったことは確かだ。

 「羽衣」を教材にしたときの授業では、これは読めば内容も面白さも難なくわかる作品で、小難しい解釈などは要しないのだ、として「羽衣」そのものにはあまり触れずに、ほかの星作品の“あらすじ”をいくつも聞かされた。 そのとき、「おーい でてこーい」は結末まで聞いた覚えがあるが、大半は“あとは読んでのお楽しみ”というかたちの、興味を引かれる紹介だったと思う。

 そういう授業があった上で、星作品およびSFにハマることになった大きな要因の第二は、新潮文庫の『ボッコちゃん』が副教材(課題図書)になったこと。 自分のいた中学では当時、国語のカリキュラムの一部として、教科書に載っていた作家の本を隔月程度のペースで学年全員が読まされて(ということは、たいていは買わされて)、感想文ノートみたいなものを提出させられていた。 そして中二の六月か七月の課題図書が、『ボッコちゃん』だった。

 学年じゅうに星新一ブームが巻きおこった。 星新一の本が教室を飛び交った。
 学校の図書室や市立図書館にも星作品はもちろん置いてあったが、一作品一冊ずつ(図書館がベストセラーを何十冊も購入する時代ではなかった。 少なくともここの市では)。 それではとうてい足りない。 また市内には、古くてもせいぜい五年や十年前の小説本がたくさん並んでいるような古本屋は、ないに等しかった。 だから新刊を小遣いで買った人も多かったが、家族の蔵書を学校に持ってきているケースも少なくなかったようだ。 というのは、校内で“流通”していた中には、『おせっかいな神々』や『妄想銀行』など、刊行から十年経って(人口十七万の地方都市の)書店の棚から単行本は消えていたが、まだ文庫化されていなかった本や、中学生にはやや高価な新潮社〈星新一の作品集〉も含まれていたからだ。

 ほどなく、ショートショートや短篇集つながりで、小松左京、筒井康隆、眉村卓、豊田有恒などの本も回し読みされるようになった。 『スター・ウォーズ』のアメリカ公開は翌1977年、それをきっかけに日本でもSF(出版)ブームが起こるのはさらにその翌年にかけてだが、それ以前の1970年代半ばには、すでに各社で日本SF第一世代作家の文庫化が進みつつあり、中学生でも割と入手が容易になっていた。 (とくに、市内の書店での在庫状況と値段の点から、角川文庫の影響が大きかった。 ちなみに、1976年夏までに出ていた星新一の文庫本は、ホシヅル図書館の刊行順著作リストによれば、二社で同じものが出ているケースやエッセイ集なども含めて、角川文庫6冊・新潮文庫8冊・講談社文庫8冊・ハヤカワ文庫JA10冊。 ついでに、当時の最新単行本は1976年1月刊の『たくさんのタブー』で、ぼくがはじめて発売と同時に新刊で買った星新一の単行本は1977年3月刊の『どこかの事件』)

 そうした中で、ぼくも星作品を(エッセイなども含めて)読みまくり、再読三読し、ほかのSFにもハマっていく。 最初のうちは、鮮やかな結末/どんでん返しにもっぱら注目していたことはまちがいないと思う。 それがしだいに、小説のほかの面の面白さにも目がむくようになっていく。

 学年内のブームはいつしか鎮静化したが、自分がその後もSFファンへの道を進んでいったのは、マニア気質や読書好きであることに加えて、文庫の巻末解説でいろいろな人がSFの特質として説いていたこと  相対的視点、宇宙史の中の人類と文明、奔放な想像力、文明批評、などなど  を、ものの考えかた・価値観としてすっかり刷りこまれてしまったことが大きい(これって全然相対的じゃないですね)。

 星作品に限らないほうに話が進んできたが、もう少し話をそらすと、中二のときの国語の担任の先生(翌年も担任だったと思う)とは、授業以外でもたびたび話をした。 そして中三の冬休み前、日本作家のSFのごく一部しか読んでいないのにSFについて知ったような口をききたがるこちらを見かねたのだろう、その先生からこれを読んでみろといわれたのが、星新一のエッセイで名前は知っていたレイ・ブラッドベリという作家の、『何かが道をやってくる』だった。

 この長篇の幻想的な世界に魅せられたことが海外SFへの入口となって云々、というのはさすがに別の話になりすぎるのでここではしないが、そのブラッドベリが最初に読んだ海外SFというわけではなかった。

 『ボッコちゃん』にはじまって、日本のSFをショートショート集や短篇集、学園SFを中心に一年あまり読みふけったあと、中三の秋に読んだはじめての海外SF。 それは、1977年10月にちょうどハヤカワ文庫SFで文庫化されたばかりの、ジョン・ウィンダム『海竜めざめる』だった。
 本屋で(その月の新刊とは知らずに)見つけたその本に手を伸ばした理由は、もちろん、それが星新一訳だったから。

 いま、SFの翻訳を仕事にしているぼくにとって、星新一は最初に読んだSF小説の作者であり、そして最初に読んだ海外SFの訳者でもあるのだ。

 と、きれいにまとまった(?)のだが、この原稿の依頼メールには「個人的な話を」とあったので、そうなると書いておくべきことがもうひとつ。
 ぼくが高校まで住んでいて、諸般の事情で数年前からまた暮らしている「地方都市」というのは、新潟県長岡市。
 小金井良精の故郷である。


2018年4月

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