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REFERANCE ROOM SHORT SHORT according to HOSHI |
ショートショートとは?
星新一がショートショートについて書いた文章を一部抜き出して
書かれている内容の時系列にならべました。
興味をもたれた方は、ぜひ出典のエッセイをお読みください!
各エッセイ集の現在の出版状況は、こちら。
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星新一とショートショート
デビューまで|ショートショート作家に|ショートショートの三要素
SFショートショートの流行|発表の場を失う|流行の復活|1001編達成
本稿についての但し書き
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- そもそも私は、うまくできた短い物語が好きだった。
子供のころ、佐藤春夫訳の中国の古い怪奇小説などを読みふけった。
昭和二十年代、そういう作家は、日本では城昌幸さんぐらいしかいなかった。
- 出典:新潮文庫『きまぐれフレンドシップ Part 1』所収「都筑道夫」
- たまたま空飛ぶ円盤研究会という団体が近くにあることを知り、勇を鼓して出かけていった。
そこで知りあいになった柴野拓美氏に、SFの雑誌を出そうと誘われた。
私はその時、「SFとは一体、なんのことだ」と聞いたものである。
- 時期:日本空飛ぶ円盤研究会入会は1956(昭和31)年秋。
「宇宙塵」創刊は1957(昭和32)年5月。30歳
出典:徳間書店『きまぐれ星からの伝言』所収「神話の時代」(1962年「宇宙塵PR版」から再録)
- 柴野拓美氏の主宰するSF同人誌「宇宙塵」第二号に、私の作品「セキストラ」がのった。
そして、幸運にも、それが江戸川乱歩先生の編集する「宝石」という雑誌に掲載されることになった。
- 時期:「宇宙塵」第2号は1957(昭和32)年6月発行。
同年「宝石」11月号に転載。31歳
出典:角川書店『ほしのはじまり』所収「そのころ」(1974年6月新潮社《星新一作品集》月報より再録)
- 二作目の「ボッコちゃん」が、最も愛着がある。
書き終った時、内心で「これだ」と叫んだ。
自己を発見したような気分であった。
大げさな形容をすれば、能力を神からさずかったという感じである。
- 時期:「ボッコちゃん」を書いたのは1958(昭和33)年1月。31歳
出典:角川書店『ほしのはじまり』所収「そのころ」(1974年6月新潮社《星新一作品集》月報より再録)
- 「ボッコちゃん」は、そのごのショートショートの原型でもある。
自分ではこの作を、すべての出発点と思っている。
- 出典:角川文庫『きまぐれ博物誌』所収「処女作」
- 私はミステリー雑誌を最初の発表舞台とした。
そこで特色を出すには、SFやファンタジーの傾向のものを書くほうがいいのである。
- 出典:新潮文庫『できそこない博物館』所収「暗殺など」
- 当時、宝石社で「宝石」と「ヒッチコック・マガジン」の二誌が発行されており、私は、その両誌に毎号、短い作品を書いていた。
- 出典:新潮文庫『できそこない博物館』所収「物体など」
- 最初の「セキストラ」を除き、いずれも短い作品であった。
あきらかに城昌幸さんの影響を受けている。
- 出典:新潮文庫『きまぐれフレンドシップ Part 1』所収「城昌幸」
- そのうち都筑道夫さんの編集する「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」で、フレドリック・ブラウンのごく短いものがいくつか紹介され、こういうのをアメリカではショートショートと称すると紹介された。
たまたま私も短いものを書いており、幸か不幸か、日本におけるショートショート作家とされてしまった。
- 時期:「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」1959(昭和34)年1月号。32歳
出典:新潮文庫『きまぐれフレンドシップ Part 2』所収「フレドリック・ブラウン」
- ショートショートは本来「短編の、さらに短いもの」といった意味。
- 出典:樹立社『星新一 ショートショート遊園地6 味わい銀河』所収「ショートショートの舞台としての酒場」(1985年TBSブリタニカバックス『酒場のショートショート』から再録)
- 中原弓彦さんが「ヒッチコック・マガジン」の編集をしていて、ショートショートの特集を何回かやった。
- 時期:最初のショートショート特集は1960(昭和35)年1月号。33歳
出典:新潮文庫『きまぐれフレンドシップ Part 1』所収「都筑道夫」
- アメリカのSFやミステリーの軽快なショートショートがつぎつぎと翻訳された。
- 出典:樹立社『星新一 ショートショート遊園地6 味わい銀河』所収「ショートショートの舞台としての酒場」(1985年TBSブリタニカバックス『酒場のショートショート』から再録)
- ヒッチコック・マガジン日本版に「ショートショートの書き方」というのがのったことがあった。
この分野の傑作集をまとめたり、書き方の本を出しているロバート・オバーファーストという人の著書の紹介である。
- オバーファースト氏は、売り物になるショートショートの三要素をあげている。
一、 新鮮なアイデア
二、 完全なプロット
三、 意外な結末
この三つである。
- 出典:角川文庫『きまぐれ博物誌』所収「SFの短編の書き方」
補足:実際のタイトルは「ショートショートの書き方」ではなく「ショートショート作法」
時期:「ショートショートの作法」が掲載されたのは1960(昭和35)年9月号〜12月号。34歳
- 語感の耳新しさか、まず雑誌、つづいて新聞の日曜版、企業のPR誌などが好んでショートショートを掲載しはじめた。
- 出典:角川文庫『きまぐれエトセトラ』所収「ショートショートの面白さ」
- 「SFマガジン」の裏表紙で、パイロット万年筆がスポンサーとなり、ショートショートの募集をやり、私が選者を担当したこともあった。
月に百編以上も集まっていた。
- 時期:SFマガジンの「パイロットSFコーナー」は1964(昭和39)年2月号から。37歳
出典:新潮文庫『きまぐれフレンドシップ Part 2』所収「梶尾真治」
- 朝日新聞の日曜版への短い童話の依頼がきて、三十回ほどつづけた。
イラストは和田誠さんにお願いした。
つづいて、日経新聞でも、和田さんと組んで日曜版にショートショートを連載した。
- 時期:朝日新聞《みんなの童話》(のちの『きまぐれロボット』)連載は1964(昭和39)年11月〜1966(昭和41)年3月。38歳。
日経新聞《ビジネス・イン・SF》(のちの『盗賊会社』)連載は1967(昭和42)年7月〜1968(昭和43)年3月。40歳
出典:新潮文庫『きまぐれフレンドシップ Part 2』所収「和田誠」
- 宇宙進出や未来予測が話題になってたころで、SF的なショートショートの依頼が多かった。
そんな傾向の絶頂が、昭和四十五年の万博である。
- 時期:昭和45年は1970年。43歳
出典:角川文庫『きまぐれエトセトラ』所収「ショートショートの面白さ」
- ショートショートはもともとオチのあるミステリー。
ヘンリー・スレッサーみたいなのがショートショートの本来のあり方です。
- 出典:徳間書店『きまぐれ星からの伝言』所収「講演録:原稿になる話」(「星CON78・公式レポート」から再録)
- ヘンリー・スレッサーの短編集は、私に短編の書き方を教えてくれた本とも言っていい。
いまだに身ぢかにおいてある。
ショートショートに関しては、フレドリック・ブラウン以上に私の肌に合う。
- 出典:徳間書店『きまぐれ星からの伝言』所収「アンケート回答」(1977年「別冊・奇想天外」2号から再録)
- フィクションだからこそ、ストーリーが生命で、それにくふうをこらさなければならないのである。
人は眠っている時に夢を見るが、さめてしばらくすると忘れてしまう。
それは、夢にはまとまったストーリーがないからである。
- 出典:新潮文庫『きまぐれ暦』所収「SFと寓話」
- そのうち、なぜか新聞の日曜版の編集方針が変わり、ショートショートの注文が少なくなる。
昭和四十八年には石油ショック。
紙不足で雑誌が薄くなり、一編あたりの枚数が減るかと期待したが、そうはならなかった。
一方、企業の減量経営のためPR誌が軒なみ休刊となり、ショートショートの発表の場は、まったくなくなる。
- 時期:昭和48年は1973年。46歳
出典:角川文庫『きまぐれエトセトラ』所収「ショートショートの面白さ」
- 文庫本の時代となり、かつて書いたショートショート集の文庫が売れはじめたが、依然としてショートショートの注文はこない。
「十枚前後のを書かせてくれ」と編集者にたのんでも「せめて二十枚は」と言われる。
- 時期:新潮文庫『ボッコちゃん』は1971(昭和46)年刊。44歳。
角川文庫『きまぐれロボット』は1972(昭和47)年刊。45歳
出典:角川文庫『きまぐれエトセトラ』所収「ショートショートの面白さ」
補足:「十枚」「二十枚」は、ともに400字詰め原稿用紙の枚数
- 短編の注文しか来なかった時期には、メモにいろいろ思いついたことを書いておいた中からアイデアを選び出す過程で、無意識のうちに、短編としてふくらますことができるようなテーマを選んでいた可能性はあるかもしれませんね。
- 出典:徳間書店『きまぐれ星からの伝言』所収「インタビュー:戦後・私・SF」(1985年「幻想文学」11号からの再録。インタビュアー:東雅夫)
- アイデアさえあれば、長さなど加減できるのだ。
- 出典:新潮文庫『きまぐれフレンドシップ Part 2』所収「フレドリック・ブラウン」
- よく、書斎のなかを、いつのまにか歩き回っている。
自問自答をやっているのである。
発想の前段階といったところか。
無意識の部分を引っぱり出す、ひとつの手段なのかもしれない。
- 出典:角川文庫『きまぐれエトセトラ』所収「日常の断片」
- ぼくの場合は、ショートショートが主だから、どうしたって、簡潔な文章にならざるをえない。
- 出典:徳間書店『きまぐれ星からの伝言』所収「インタビュー:なんでも知ってるホシ教授」(1974年9月「奇想天外」から再録。構成:青木雨彦)
- 今、だいたい八百編なんですよね。
あとの二百がむずかしい。
現在いろんな事情で月二編のペースですし、PR誌がなくなり、新聞の日曜版の編集方針がかわり、七、八枚のいわゆるショートショートの発表舞台がなくなってるんですね。
それにちょっとこちらも気力が衰えてきて、なんかペースがだんだん落ちてきたという感じだな。
- 出典:徳間書店『きまぐれ星からの伝言』所収「インタビュー:もし、手もとに一億円あったら?」(1976年12月「別冊新評 星新一の世界」から再録。インタビュアー:林敏夫)
時期:インタビューは1976(昭和51)年7月。49歳
補足:400字詰め原稿用紙7、8枚というのは「ボッコちゃん」「おーい でてこーい」の長さ。
星新一の改行量で2,000〜2,500字程度
- アイデアのもとは気力と、実感しはじめていた。
気力は体力であり、年齢とともに弱まる。
なんとか書けるうちにショートショートを一編でも多く書いておこうという気になった。
そこで勇気を出し、編集者に「短くていいのなら書く」と宣言した。
すると「それでけっこう」となった。
つまり、わがままの言える立場になれたのだ。
- 時期:1978(昭和53)年以前
出典:角川文庫『きまぐれエトセトラ』所収「ショートショートの面白さ」
- そのうち、講談社の募集したショートショートの予選通過作品が、どさりとくるはずである。
五千編も集まったというから、驚異だ。
五百編ちかく読むことになるだろう。
- 時期:1978(昭和53)年10月が募集締め切り。52歳
出典:角川文庫『きまぐれエトセトラ』所収「とし」
補足:年1回の星新一ショートショートコンテストは1986(昭和61)年結果発表の第8回までつづいた
- 四月に講談社から季刊の「ショートショートランド」という雑誌が創刊され、まずまずの売れ行きらしい。
その以前にも二回、一般から作品を募集し、予選通過の数百編を私ひとりが選考し、本にまとめるという試みがなされた。
毎回、五千編を超える作品が集まるので、雑誌の実現となった。
そのほかの雑誌も、ショートショートを時どき小特集的に掲載するようになってきた。
小さな流行現象となった。
- 時期:「ショートショートランド」は1981(昭和56)年創刊。54歳
出典:角川文庫『きまぐれエトセトラ』所収「ショートショートの面白さ」
補足:「ショートショートランド」は1985(昭和60)年5月の第22号までつづいた。58歳
- 昭和五十八年の秋に、私の短編の数が一〇〇一になった。
そのパーティーが開かれた。
考えてみると、すらすら書けたのは、ほとんどない。
三年に一回ぐらいは、あったかな。
ほかはどれも、苦しんだあげくの産物である。
- 出典:新潮文庫『きまぐれ遊歩道』所収「一〇〇一編」
補足:原文の昭和60年は58年のまちがい
時期:1001編達成、「星新一さんのショートショート1001篇をねぎらう会」ともに1983(昭和58)年10月。57歳
- そんな苦労を、なぜしたかとなる。
他人には書けまいという作品を仕上げ終えた時の気分は、なんともいえない。
それと、読者と空想を共有しているという、満足感がある。
- 出典:新潮文庫『きまぐれ遊歩道』所収「空想の楽しさ」
補足:1001編達成後は小説の休筆を公言。
エッセイ執筆、旧作の手直し、コンテストの選考はつづけた
- べつに私は文豪ではないし、風俗小説作家でもないので、平然と直す。
古典落語だって、手直しのつみ重ねで、つづいてきたのだ。
- 出典:角川文庫『あれこれ好奇心』所収「あれ」
- 「小説現代」という月刊誌で、毎号ショートショートの募集をやり、私がひとりで選考をしている。
才能のひらめきは感じるのだが。
なにかアドバイスはできないものか。
- 出典:角川文庫『きまぐれ学問所』所収「『文章読本』を読んで」
補足:年に1回だったショートショートコンテストは、1986(昭和61)年以降、講談社「小説現代」の投稿コーナーとして継続。59歳。
星新一が入院する1996(平成8)年4月までつづいた。69歳。
1997(平成9)年12月永眠。71歳。
講談社文庫《ショートショートの広場》は1998(平成10)年に、星新一が選者をつとめた最後の巻となる第9巻が刊行された
本稿「星新一とショートショート」は、読者のみなさまにショートショートについて正しくご理解いただくこと、そして星新一のエッセイに興味をもっていただくことを目指して公開しています。
文責は星マリナです。
引用文のみで意味が通じるように、原文から言い回しを少し変更している箇所、また、長すぎるために中略している箇所がありますので、ご了承ください。
原文には「ショート・ショート」という記載もありましたが、すべて「ショートショート」に統一しました。
時期の特定と補足の執筆には、最相葉月さん監修の『星新一 空想工房へようこそ』(新潮社とんぼの本)、高井信さんの著作『ショートショートの世界』(集英社新書)と『日本ショートショート出版史』(私家版)を参考にさせていただきました。
2020年4月
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