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 寄せ書き 
横田順彌「ぼくと星さんのこと」

SF作家・古書研究家
 ぼくが星新一さんに、初めてお目にかかったのは、いつだったか記憶がない。 けれど作品は早くから読んでいた。 探偵小説時代の雑誌「宝石」を古書店で探して、掲載作品を切り抜いていた。 中学生の時だから、かれこれ五十五年ほど昔のことだ。 SFが好きだったのはもちろんだが、星作品は短くて、わかりやすく、オチの鮮やかさに魅せられたのだ。 何作か集まったところで自家製本し、東郷青児のデザインで知られるケーキ店、自由が丘の「モンブラン」の包装紙でくるみ表紙を造り悦に入っていた。 ところが、うっかり学校に持って行ったら持ち物検査で理科の教師に取り上げられ、それっきり、ぼくの手元にはもどってこなかった。 理科の教師ならSFを理解して返してくれると思っていたが「こんなのを読んでいると、いい高校には行けないぞ」と説教されただけだった。 たしかに、いい高校には行けなかったが、後に星さんと同じSF作家になったのだから文句はないだろ。 やい某理科教師。

 その頃、柴野拓美さんが結成した日本最初のSF同人誌「宇宙塵」に入会したぼくに、翻訳家の伊藤典夫さんから電話がかかってきた。 柴野さんの家で例会をやっているから、顔を出さないかと、お誘いがあったのだ。 柴野さんのお宅とぼくの家は徒歩で十分ほどの場所にあったので、近くに若い馬鹿SFファンがいるから、呼んでやろうということだったらしい。 で、伊藤さんは「星新一さんがいるよ。他にも今日泊亜蘭さんや光瀬龍さん、矢野徹さんもいるよ」といわれた。 うわっーだ。とても畏れ多くて行かれない。 そんな大家に取り囲まれたら、間違いなく突発性心臓疾患で死んでしまう。 「い、いえ。今日は父の葬式で行かれません」。 いま思えば、なにがあってもお伺いすればよかったと後悔している。 ああ、思い出した。 星新一さんに、初めてお会いしたのは第二回のSF大会だったと思う。 ぼくも、もう七十歳、記憶が相当に混乱している。

 それから十数年して、羽化仙史という明治時代のSF作家の本名が、渋江保だったとわかった時、星さんにお話したら「渋江抽斎の息子のかい?」といわれた。 「そうです」と答えると「わたしの祖母は鷗外の妹なんだよ。渋江保は鷗外が『渋江抽斎』を執筆する際、資料を提供してくれた人なんだ。おもしろい縁だなあ」と喜んでくださった。 ぼくも嬉しかった。 そんなことで、お話しするようになって、星さんが城昌幸のショートショート集『怪奇の創造』を編纂された折、古本の話ならヨコジュンだというので、作品集めをお手伝いさせて頂くという栄誉に預かったこともある。

 星さんの厳父・星一の『三十年後』は、古書コレクター仲間に、日本最初のSF雑誌「星雲」と交換してもらった。 その時は、すでに星さんが要約・解説をされた後だったと記憶するが、世にも珍しい稀覯本が手に入り興奮した。 第五版で初版から約三か月後の刊行となっている。 当時はかなりのベストセラーだったらしい。 未来記としての的中率は六十パーセントぐらいだと思うが、実におもしろい。 全篇を旧漢字旧仮名遣いで読んだのは、ぼくと星さんと交換してくれた友人だけだと、つまらぬ優越感に浸ったものだ。 もちろん大正時代や昭和戦前の読者は別にしてだが……。 星一が協力してもらった江見水蔭というのは、詳しくは辞典を牽いてもらうとして岡山県出身の作家。 『金色夜叉』で知られる尾崎紅葉等が立ちあげた硯友社の同人だ。 日本SF界の祖といわれる押川春浪より早くから、探検小説、冒険小説、SFを書いていた人でユーモラスな作品も得意だった。 星一は、いい作家に協力を得たと思う。 原稿は早稲田大学図書館に所蔵されていると、星さんからお聞きし、調べなければと思いながら、結局、いまだに調べていない。 『三十年後』に、飛行機で散歩するのを散飛と書いてあるが、江見の別作品にも散飛が登場するので、こんなところをおもしろい作家だと思ったのだろう。 またオチが見事で企業PR未来小説としても秀逸だ。

 星一が書いたものではないが奇想小説作家・南澤十七が昭和十九年二月に、東亜書院から、川端勇男という別ペンネームで書いた『小説 マラリア』には星一をモデルにした、赤星社長という製薬王が登場する。 有名な実業家だったのだ。 『小説 マラリア』は家のどこかにあるはずなのだが、なにしろ、ぼくの家では「広辞苑」が行方不明になってしまうくらい、グチャグチャなので姿が見えず詳しく書けない。 ただ、これはSF作品ではないしほんの少し顔を出すだけで、それほど重要ではないとごまかしておく。

 星新一さんの思い出は数多くあるが、SF作家クラブの会合の時、エレベーターで、ご一緒になったら、長身の星さんが「ヨコジュンも踵の高い靴を履いたらどうだ」いわれた。 いうまでもなく、ぼくは押しも押されもしない立派なチビだ。 気を遣ってそういってくださったのだが、実はその時、すでにシークレットブーツを履いていたので、ご返事ができなかった。 あの時のきまり悪さは忘れられない。

 星さんに文庫本の解説をお願いしたことがある。 快く書いてくださったが、後に「いやあ、君の作品には、どう書いていいか、難しかった」といわれた。星さんに解説を書くのを困らせたのは、もしかしたら、ぼくだけかもしれない。 ぼくも二度、星さんの文庫本に解説を書かせていただいたが、二度目の時に「また、書かせていただけるのですか?」というと、「ああ、前にも書いてもらったっけな」。 たぶん再試験だったのだと思う。 三度目は依頼がなかったので合格か、それとも愛想がつきての不合格かはわからない。 合格にしてしまおう。 ご本人がおいででないから、いい方に解釈する。

 こんなこともあった。 ぼくもショートショートを書くことが多く、原稿料が安いとボヤイたら星さんが「よし、おれが出版社にいってやろう」といわれた。 これはありがたいと期待していたら、星さんの原稿料だけが値上がりしてしまった。 あの時は落ち込んだが、星さんは「ショートショートを書く作家はみんなあがったと思った」と後日いっておられた。

 話に一貫性がないが、なにしろ、最近は、その日の朝の食事の内容も思い出せないので、このあたりで筆をおく。 ありがとうございました。 星新一さん。ああホシヅルが飛んで行く季節ですね。


2015年11月

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